あれから3年半、復興は進んでいるのか? そこに暮らす人々の想いはどのようなものか?昨年に続き、【その後】を自分の目で確かめるために、今年は岩手県の沿岸部を訪ね、現地の人から直接話を聞くツアーを実施しました。2014年11月1日(土)〜11月3日(月・祝)に、岩手県釜石市と大槌町、陸前高田市を、語り部の方の案内で回ってきました。いずれのまちでも、繰り返しTVなどで見た風景、そして報道では流れなかった現実がそこにありました。釜石では、「釜石の奇跡」と称される、中学生が率先して避難し「津波が来るぞ、逃げるぞ」と周囲に知らせながら小学生や保育園児、お年寄りの手を引いて、もっと高く高くと走り続け、全員無事に避難することができたというその現場を歩きました。大槌町では、市街地が津波と津波火災に包まれ、助けを求める声に応えられずに見ているしかなかったという語り部の方と、その時に避難した城山公園に登り、いまださら地が広がるばかりの大槌町市街地などを見て回り、当時の様子などを教えていただきました。
語り部の方が強調するのが、「どんな立派な防潮堤でも人工物は壊れる」こと。釜石港湾口防波堤のような立派であればあるほど、油断を生んでしまう。「自分の命は他人ではなく自分で守る」こと、そしてそのためには、いざというときに体が動くような「訓練が大切である」ということ。「逃げる文化をつないでいきたい」という九死に一生を得た人の言葉が印象的でした。
奇跡の一本松が復興のシンボルとなっている陸前高田市。震災前、沿岸部には街が広がり、数万本もの松林「高田松原」がありました。市では、沿岸部は人が住まないゾーンとすることを決め、松林は元の姿に復元するようです。そこでは今、想像を超えるほど巨大なベルトコンベアが、市のはずれの山から、遠く離れた沿岸部に直接土砂を送り続けていました。そして土地のかさ上げや、高台移転場所の開拓などのために工事車両が、かつて街だった、今は荒野のように見える場所を走り回っていました。松林の内側と外側には、3mと12.5mの高さの二重の防潮堤を張り巡らし、河口には200億円の水門を築くことで、相当の高さの津波を防ぐ計画です。このまちは一面では順調に復興が進んでいるのかと思いきや、語り部の方の評価は厳しいものでした。「何百億の費用をかけ、監獄のようにコンクリートで堰を築き、人が住まない沿岸部の、いったい何を守るのか!」、「陸前高田をはじめ三陸は豊かな自然に恵まれ、縄文からの遺跡も多い。かさ上げ工事で、大切な文化が失われてしまう。」、「仮設住宅の中には転居を繰り返したり、新しい人が出たり入ったりで、人間関係が築けないのが辛い。急いで欲しいのはこの問題である。」
今回のツアーでは岩手県の釜石市と大槌町、陸前高田市を中心に巡り、語り部や市民の方にいろいろな話を聞きました。震災当時の津波の恐ろしさや防災の大切さの他、市民の声が復興に活かされることの難しさを知りました。今回私たちは聞くばかりで何も具体的な支援が出来た訳ではありません。しかしこうしたガイドツアーに参加したのが縁となり、被災地とのつながりが生まれ、具体的なアクションが起きる例も知りました。北海道に住む私たちだって、まだまだやれることは多いはず、 ふるさと復興・学び支援隊として考え続けていきたいとの思いを強くしました。
当日のツアーには参加できなかったものの、企画や準備の多くを担ってくれた事務局の森健吉氏に感謝申し上げます。(ツアー参加者:山田正二(農S41卒)、山田惠子(農S43卒)、安倍 隆(農S61卒) 文責:安倍 隆)
このツアーについては、11月14日に札幌で開催した北海道連合会の同窓会総会懇親会で報告しました。
報告用資料はこちらのファイルをご覧ください。→被災地ツアー報告2014.pdf
※山田惠子さん(農S43卒)が、とても詳細な報告書を作成しました。「北海道女性研究者の会」通信70号に掲載された原稿ですが、ご厚意で本サイトにも載せさせていただきました。ぜひご覧ください。→被災地ツアー報告2014(山田惠子).pdf